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ハンガリアン・コープス像

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ハンガリーの古都セーケシュフェヘールバール。

「ハンガリー・コープス」=「ハンガリーの遺体」と名付けられた像が、
市の中央公園に建つ。

これは、戦時中に被弾して死んだ戦友の、横たわる姿を基に作成されたもの。
遺体を基にした無惨な身体のなかで、左手の人差し指だけが、高く天を
指している。

それは戦後ハンガリーへの、かすかな希望の象徴。

いまでは、「ハンガリーの希望」と呼ばれ、ナンドール氏の最高傑作に
数えられるものです。

・・・死んでなお、希望を貫くこと。
そこには、どれほどの思いがあったのだろうか、と考えてしまう。

《自由の国に生まれた者には、理解できるまい、
 私たちが、繰り返し噛みしめる自由は、
 全てに勝る贈り物であることを》
              −ハンガリー詩人
               マライ・シャンドール(1900 - 89) −
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右手は死を、左手は希望を指す。

*興味のある方は、ぜひ。
『ドナウの叫び/ワグナー・ナンドール物語』(下村 徹/幻冬社、2008年)
# by imabendrot | 2009-10-23 18:44

哲学の庭

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ハンガリーの世界遺産、ブダペストのゲレールトの丘。

ここに「哲学の庭」が建立されたのは2001年。
日本へ帰化したハンガリーの天才彫刻家、ワグナー・ナンドール氏の
平和への願いが集結した、八体の彫刻です。
オリジナルは、益子のナンドール・アート・ギャラリーに。

キリスト像、老子像、釈迦像、アブラハム像、エクナトン像が、円形の台座の
上に立ち、世界を象徴する真ん中の球を見つめている。
(写真はそれ。アブラハムは偶像崇拝禁止なので、顔を見せないように
作られているのだそう)。
その外側に、達磨大師、ガンジー、聖フランシスがたたずむ。

第二次世界大戦で戦い、傷つき、戦後ソ連に蹂躙され、祖国を離れなければ
ならなかった彼が、平和を当然のことのように思っている多くの日本人に対して、
または、戦乱の絶えない世界に向かって、何が告げられるのか、何を告げるべきか。

その結果として作られたのが、この「哲学の庭」だそうです。

宗派を超えた、神の存在の確信。
それ以上に、宗教の違いからくる争いが絶えない現在の世界で、
すべての宗教が、他の宗教の存在を否定することなく、許容し、助け合うことに
よってのみ、初めて世界に平和が訪れる、という彼の考えが、ここには
集約されています。

彼は生前、「この像の思想が理解されることは、21世紀にはない。
おそらく100年後の22世紀になってからだろう」
と語ったそうです。
今は奥様の千代さん、そしてハンガリーの有志団体がその志を継いでいます。

「日本人」となった彼の作品が、日本で取り上げられる機会は、残念ながら
ほとんどないように思うけれど、ここ、ゲレールトの丘で、祖国に帰った
像たちが、ブダペストの街を穏やかに見下ろしている。

その姿に、静かな感動と敬意を覚えます。

「たとえその国の政府が嫌いでも、そこに住む個人を憎んではならない。
自分は嫌いな国の人に、二度も救われたではないか」
                      (ワグナー・ナンドール)

本に書かれていたこの一節が、真摯に響く。
# by imabendrot | 2009-10-23 18:42

Ungarn

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ハンガリー。大好きな、ブダペストの夜景。

えー、これは8月の話です、念のため。
いまさら夏に行ったところの話をするのもどうかと思いつつ・・・
やっと少し時間ができたので、書きたかったことを少しずつ。

ブダペスト自体は4回目ですが、今回はドライブで、
いろんなところへ行きました。

今回のハンガリー訪問の一番の目的は、ワグナー・ナンドール氏の
彫刻を見ること。

ハンガリ-を代表する彫刻家ワグナー氏は、当時の共産主義に反発し、
自分の芸術が政治に利用されることを拒否したために政治犯として指名手配され、
スウェーデンに亡命。

そこで出会った日本人女性と恋に落ちて、日本へ帰化。
それから生涯、笠間に住んで、世界の平和のために像を作り続けた人。
笠間にあるワグナー・ナンドール美術館には、多くの作品が展示されています。

権力による支配を嫌い、日本の武士道を愛した彼の作品は、静かな力強さと、
悲しみを超越した、澄んだ優しさに溢れている。

私がワグナー氏の人生と彼の像に興味を持ったのは、かれこれ25年近く、
ずっと家族ぐるみで親しくしているハンガリー人ファミリーのご両親が、
ワグナー氏のハンガリーにおける名誉回復と、ハンガリーでの彼の像の建立に
尽力していることがきっかけ。

昨年秋、日本で『ドナウの叫び / ワグナー・ナンドール物語』という本が出版され、
それを読んで、あらためて、故郷ハンガリーに立ったワグナーさんの像を見に
行きたい、と強く思いました。

今回はそのファミリーの所で、すっかりお世話になりました。
厳しい共産主義の時代を自ら経験してきた彼らにとって、ワグナー氏の像は、
勝ち取った平和の象徴なのだと思う。

私はウィーンで過ごしてから、東欧諸国や旧ユーゴスラヴィア諸国の凄まじい
歴史の重みを、単なる過去の時代の他人ごとのように見ることはできなくなった。

結局、私がウィーンで無意識にショックを受け、何とか学ぼうとしたことは、
音楽学やドイツ語というものを越えて、こういうところにあったのだと思う。

ウィーンは東欧と西欧の橋渡し的な玄関口として、いまでも
様々な役目を果たし、機能をもつ。
これは実際にウィーンで生活したことによって、強い実感として
印象に残ったことで、帰国後もずっと、そのことについて考え続けて
いるような気がします。

ウィーンの人口の40%以上は、東欧や旧ユーゴスラヴィアからの移民だし、
歴史のねじを一本間違えたら、オーストリアは完全にそこに巻き込まれて
いたかもしれない。
700年間のハプスブルク帝国の栄光と、その陰にある微妙な対民族感情を
いまだに引きずり、同時にドイツ・ナチスの併合から対ソ連との軋轢といった
戦後のうねりをかいくぐってきた緊迫感が、この街の根底には、いまでも
根強く流れているのを感じます。

華やかな観光地の下に、迷路のように張り巡らされた地下道の存在や、
様々な民族同士の、すれすれの小競り合い。

誇り高く、とりわけ外国人に対して尊大だと言われるウィーン人の中で
移民として生きるのは、決して居心地のいいものではないだろうと思う。

彼らの、外国の地で、外国人として、半ばあきらめたように静かに生活する姿、
それでも助け合い、私たち日本人留学生にも優しい気遣いをしてくれるのを
感じると、ふと切ないような気分になります。
何を思いながら、生活しているのかな、と。

同じ外国人といえども、背負っているものも、立場も、まるで違う。
そんな恵まれた私たち日本人にも、「外国で暮らすのは大変でしょう」と、
ウィーンの人とはまた違った、さりげない優しさで接してくれる彼らを見ると、
私は、彼らの思いを、ほんの少しでも理解したい、と思う。
この2年間、ずっと、そう思ってきた。

セルビアの紛争で娘さんを亡くしたスーシーとラコー、
彼らのレストランに日々集う日雇い労働者の人たち、ポーランドから自給6ユーロの
掃除婦のバイトのために出稼ぎに来る、私よりずっと年下の女の子。

大学で出会う、いわゆる「エリート」のオーストリア人や留学生たちとはまったく
別の、もっともっと根の深い何かが、そこにはあった。

東欧を、「陰気で暗くて、嫌い」
と言う人もいるけれど、それはそれで、私は否定はしないけれど、
そういう好き嫌いのレベルではなく、ひとつの国の歴史や文化、
そこで生活する人々に対して、所詮は部外者であり外国人の立場である私たちが、
あれこれ言う権利はないのかもしれません。

その国のありのままの姿に対して、リスペクトする気持ちを持つこと、
そして、相手の立場や痛みに共感できること。

ウィーンで過ごした時間が私に教えてくれた最も大事なことは、
こういうことだったと思う。

ハンガリーは、まだまだ生活が大変な国だけれど、私は大好きです。
でも、ハンガリーの人の中には、自分の民族に対する誇りと、反面、どこか
屈折した思いが、混じり合う。

「ハンガリーは、いつもいつも、どの時代にも、権力に抵抗しては負けちゃった」

そう話す彼らに、私は何も言えない。
でも、痛みを知っている人のほうが、知らない人よりずっと強くて優しいのだ、
と思うのです。

2年前、ブダペストの、ドナウにかかる鎖橋、その美しい夜景を見て、あっちゃんと
一緒に涙を流した。あのとき、あっちゃんが、
「勝ち続けてきた国と、そうでない国がある」と言った。
そして、もしそうだとしたら、後者の痛みを知っている国のほうが、
私たちは好きだね、と何かお互いに共感するものがあったのを思い出します。

いまのハンガリーは、もちろん20年前とは違います。
資本主義の自由な国になったけれど、経済は不安定で、ユーロはまだ
見送り状態。

いろんな思いが交差しながらの、ワグナーさんの像をたどる小旅行、
&バカンス旅行となりました。
# by imabendrot | 2009-10-21 22:27

巨匠パウル・バドゥラ・スコダ

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今年82歳になるウィーンのピアニスト、パウル・バドゥラ・スコダの
来日50周年記念コンサート。

会場には、ウィーンの香りが漂う。
ウィーンにいたとき、先生家族を通じて何度かお目にかかったことがあります。
音楽の素晴らしさは言うまでもなく、その温かな人柄に、強く強く惹かれました。

「この芸術家について語る資格が、自分にあるだろうか」ー。

プログラム・ノートに先生が書いていた。
そんな足元にも及ばない私が、ここであれこれ書く必要は、本当は
ないのかもしれません。

だから、3年前の来日のときに、先生から見せてもらったパウルさんの手紙を
引用して、彼の溢れる音楽への愛情に、敬意を表したいと思います。
この手紙以上に、この芸術家の本質を語るものは、ないと思うから。
彼の人柄と、その音楽がいっぱいに感じられる、素晴らしい文章です。

**********
最近、聖人へと高められたマザー・テレサは、すばらしい言葉を残しています。
今日の私たちに関係があるとおもわれる5つを引用させてください。

    
一番大事な日は?            ー 今日この日
人生最大の力は?            ー 信じること
もっとも大切はことは?         — 愛
最大の神秘は?             ー 死
ほかにそれに匹敵する神秘がありますか? ー ええ、それは生命! 


・・・私はこの言葉を知らないまま、しかしまさにそういう力によって
人生を導かれてきました。

特に最も大事な作曲家、モーツァルトとシューベルトを弾くときに
私を導いてくれたのは、こういう力です。
それに内面的な力を起こさせる大きな巌のような存在、
J. S. バッハを加えましょう。
    
モーツァルトを弾くとき、私の心は踊ります。
この年になっても老いを感じないで、若い力を信じていけるのは
この喜びのおかげです。
モーツァルトの音楽は心を癒します。
疲れた心をハーモニーで満たし、荒々しい人にも慰めをもたらします。

悲しいとき、さびしいときに一緒に泣いてくれる音楽です。
嬉しいときに一緒に笑ってくれる音楽です。

そして私たちの心が喜びに溢れるとき、モーツァルトの音楽は
しあわせに響くのです。
             (2006. 10. 22 パウル・バドゥラ=スコダ)
*********

作曲家を愛し、作曲家に愛された音楽家。
彼の紡ぎ出す音のとなりで、まるで本当にハイドンが、ベートーヴェンが、
そしてシューベルトが寄り添い、一緒に弾いて、歌っているかのようだった。

私はいま、歴史に残る巨匠を目の前にしている、と心から思った。

パウルさん、
どうか、これからもずっとお元気で、音楽に豊かな愛を注ぎ続けられますように。
心からの敬意とともに、そう願います。
# by imabendrot | 2009-10-10 20:02 | KUNST&MUSIK

Camino de Santiago 44: 巡礼のおわりに

Camino de Santiago 44: 巡礼のおわりに_f0100599_19332395.jpg
私たちの長い長い巡礼の旅は、これでおしまい。

ウィーンに戻ると、
「この本を読んで、本当に君が羨ましくなった」と言って、
ドイツからベニーが本を送ってくれました。
ドイツの人気コメディアンがカミーノを歩いて書いたエッセイで、
昨年ドイツでベストセラーになった本です。


 『この道は厳しく、そして魅力に満ちている。
 この道はひとつの挑戦であり、ひとつの誘いだ。
 
 彼(巡礼路)は君を壊して、空っぽにする。
 そしてもう一度、君を作り上げる。

 彼は君からすべての力を奪い取り、そしてその力を、
 3倍にして返してくれるのだ。

 道が問いかける。
 いつも君に、ただひとつの問いを投げかける。

   ー 君は誰?』・・・。


私がどれほど言葉を尽くしても、文章をひねりだしても、
語りきれなかった多くのこと。

この道は、歩いてみなければ分からない。
その辛さも、その美しさも幸せも。

私は、いつかきっと、また歩こう。


「人生に年齢を刻むのではなく、時の流れに人生を刻め」ー。


私の好きなこの言葉。
この言葉を、カミーノがもう一度思い出させてくれました。
カミーノを歩いた3週間は、まさにそんな人生そのものだった。

私の大切なすべての人、大好きなすべての人と、この道をいつか
共有できるようになったら、幸せです。
# by imabendrot | 2008-09-21 19:08 | Camino de Santiago